June 2025

6月29日「今日の礼拝堂」

聖霊降臨後第3主日 礼拝 *配信礼拝(オンライン)で礼拝が行われました。 今週の「つどいの祈り」   神様。あなたにのみ、永遠の喜びがあります。思い煩いが押し寄せる時にも、あなたに聴き従うことができるよう、私たちを支えてください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン 《 来週の礼拝 》 #7月6午前10時30分 聖霊降臨後第4主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「平和の挨拶 」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:藏谷俊夫さん*礼拝当番:清水美年子さん*聖  書:イザヤ 66:10-14(旧1170), ガラテヤ 6:7-16(新350),ルカ 10:1-11,16-20(新125)* 讃 美 歌:増補35番 、238番、 194番

6月22日「今日の礼拝堂」

聖霊降臨後第2主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」:  神様。悩みや不安が私たちに襲い掛かります。上よりの平安をいただくために、すべてを治め、導かれるあなたを信じることができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。     ♪ アーメン ○聖霊降臨後第2主日 説教                イザヤ65:1-9 ガラテヤ3:23-29 ルカ8:25−39           「恐れと不安を越えて」 主イエスの前に悪霊に取り憑かれている男が現れます。この人は《衣服を身に着けず、家に住まないで墓場を住まいとしていた》(27)とあり、わめきながらひれ伏し、《いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。頼むから苦しめないでほしい》(28)と大声で言うのでした。主が汚れた霊にこの男から出るようにとお命じになったからです。悪霊に《名は何というのか》(30)とお尋ねになると、悪霊は「レギオン」と答えます。「レギオン」というのはローマ軍団のことです。ラテン語のLegionarius/レギオーナーリウスは、ローマ軍団を構成する兵士のことです。ローマ市民は共和政ローマ中期まで軍団兵としての義務があり、25年間、45歳までの兵役が課せられていました。ですから、この男の苦しみの原因である悪霊とは、ローマ軍の存在そのものであることが示されていると言ってよいでしょう。 支配と抑圧の中で、暴力がおこなわれ、深く心と魂が傷つけられてしまった一人の男。彼が、深い悲しみの中で叫び続け、墓場に住み、生きるということの意味も見いだせないままにあった叫び、呻きに耳を傾け、彼に触れるために主イエスは向こう岸から渡って来られたのです。この男、すべてを奪われ、様々な痛み、苦しみを担わされ、墓に留まり失われたかけがえのない愛する者を思う、その想いにまさって、主はこの人をかけがえのない“ひとり”として見出し、対峙されているのです。 主イエスは、彼の怒りと苦しみのもとであるレギオンを取り除かれます。それは、あのローマ帝国支配を象徴する「豚の群れ」を、海に飛び込ませることでした。この男が捉えられていた怒りと悲しみ、深い絶望に、主イエスが寄り添い、それを受け止めてくださったのです。けれども、物語はこれでめでたしめでたしとはなりません。成り行きを見ていた人たちが、悪霊に取りつかれていた人が救われた次第を知らせると、豚飼いたちは逃げ出し、野次馬的に様子を見に来た者たちは、あの男が正気を取り戻し、服を着て、主イエスの前に座っているのを見て恐ろしくなっているのです。そして、ゲラサの人々は自分たちのところから出て行ってほしいと主に願うのでした。 《彼らはすっかり恐れに取りつかれていたのである》(37)とルカは記しています。ゲラサの人々は、人が癒されることで神をほめたたえることはしませんでした。彼らは経済的な損失を勘定し、あまりにも損失が多いことに目を見張り、主イエスの業が良いものであったとしても、見通しがつかず、管理もできない力を脅威としか受け止められないのでした。だから、出て行ってくれというのです。主が帰ろうとされると、癒された人がお供したいとしきりに願いますが、主はこれを良しとはされません。《自分の家に帰りなさい。そして、神があなたになさったことをことごとく話して聞かせなさい》(39)といって戻されます。癒された人は、この主の言葉に従って、自分にしてくださったことをことごとく町中に言い広めた、というところで日課は終わります。 この人がどこまで主イエスのことを理解していたかはわかりません。けれども、ただ一つはっきりとしていることは、この人は主が自分にしてくださったことを自分のことばでしっかりと語ったということです。町へ戻った時、この人にも恐れと不安があったかもしれません。しかし、それらを越えてこの人は神の業の証人として生きる者となりました。かけがえのない一人として、主に見いだされ、主によって癒され、神の御心に触れたものは、福音宣教者としてたてられていくのです。(岡田) #今週の礼拝は、札幌礼拝堂、札幌北礼拝堂、新札幌礼拝堂の3礼拝堂交流の「こんにちはウイーク」として行われ、他の礼拝堂からの参列者も迎え礼拝堂も満席で行われました。                  《 来週の礼拝 》                                #6月29日 午前10時30分 聖霊降臨後第3主日 礼拝 (配信礼拝で行われます)  *司  式:小泉  基 牧師                                                                                              *説  教:小泉  基 牧師「安楽椅子から立ち上がる」                                                              *礼拝当番:小笠原里子さん

6月15日「今日の礼拝堂」

三位一体主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」 天地の主である神様。宇宙が創られる前から、あなたは三位一体の神として、創造の主、永遠の救いの御言葉、命を与える知恵の霊です。あなたの霊によって真理をことごとく悟らせ、キリストが啓示したすべてを宣べ伝え、栄光の喜びに共に与ることができますように。栄光と誉れが父と子と聖霊であるあなたに今も後も永遠にありますように。            ♪ アーメン 《 来週の礼拝 》 #6月22午前10時30分 聖霊降臨後第2主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「恐れと不安を越えて 」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:青木比呂子さん*礼拝当番:楢戸恵子さん*聖  書:イザヤ 65:1-9(旧231), ガラテヤ 3:23-29(新346),ルカ 8:26-39(新119)* 讃 美 歌:277番 、292番、 教団122番

6月8日「今日の礼拝堂」

聖霊降臨祭 ペンテコステ 礼拝 今週の「つどいの祈り」:   神様。あなたのいのちの息で、私たちは生かされています。救いのみわざを宣べ伝えるために、聖霊にとって私たちを力づけてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン ○聖霊降臨祭 ペンテコステ 説教   「心を騒がせるな、おびえるな」                     創世記11:1-9 使徒2:1-21 ヨハネ14:8-17,25-27 主イエスは今日、ご自身を「道」とたとえられながら、それは目的に到達する通路としてというのではなく、主ご自身がその道を歩もうとする私たちと一緒に歩みを進めてくださるから、私たちは真理へと、命へと歩みを進めることが出来ると約束されました。そしてさらに《わたしが言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい》(14:11)とも言われました。私は/私たちは、神の御子が十字架と復活を通して恵みの御業を成し遂げてくださったという所に、いつでも立ち帰ることができるのです。なぜ神がこのようなことを成されたのかというと、御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためです。 この世における私たちの人生は、愛を受け、愛を深め、愛において成長し、そして愛を与える機会です。そしてこの愛は、死によっても決して失われることはありません。むしろ、より親密に、より身近に感じられるようになるのではないでしょうか。なぜなら、主イエスが十字架で死なれた瞬間こそ、紛れも無く彼の人生のうちで最も偉大な瞬間だったからです。 聖霊降臨を祝うこの日、新札幌では一人の方が洗礼をお受けになります。愛する方を見送られ、知人の紹介で礼拝に出席されるようになり、この一年、ほぼ欠かさずに通ってこられていた方です。洗礼を意識して、学びを始めたとき、その方は「自分の勝手な思いや考えでちゃんと理解できていないかもしれない」と口にされていました。「でも、クリスチャンの息子にもすべてを理解してなんて考えていると、いつまでたっても洗礼は受けられないよ。洗礼がスタートだよと言われたので、いいのかなと思います」ともおっしゃっていました。この言葉を聞いて私はとても嬉しく思いました。この方のうちに神ご自身が働きかけて、洗礼を受けたいという思いを起こしてくださったからです。聖霊の導きによって、一人の人が主を信じる者として生きるようにされるということ、この奇跡を心から神に感謝します。そして、同時に、私たちはそれぞれ自分が洗礼を受けた時のことを思い起こしてみてはと思うのです。一人ひとり、神との出会い、キリストとの出会い、聖霊の導きの感じ方は違います。違いがあっても、私たちは今、キリスト・イエスを通して示された神の愛に生きる者/生かされている者としてここにいます。なんという恵みでしょう。 私たちは主の死によって多くの実りを与えられました。いずれ私たちにも信仰の道のりを走りとおして、主が約束された場所へと旅立つ日が訪れます。不安や心配事を考えると心騒ぎ、おびえてしまうこともあるでしょう。しかし、主イエスは「心を騒がせるな。おびえるな。」と言われます。主はいついかなる時も共にいると約束し、これを信じよと言われるのです。私たちはこの主のことばに立ち、その日、その時を迎える瞬間まで、主の愛に満たされた者、恵みを受けた一人の信仰者として、キリストを指し示しながら喜びをもって定められた道を進んでまいりましょう。   # 前野紀子さんの「洗礼式」が行われました。 新しい信仰の友を歓迎します。                    《 来週の礼拝 》                               #6月15日 午前10時30分 三位一体主日 礼拝 *司  式:小泉 基牧師*説  教:小泉 基牧師「わからなくて信仰 」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:藏谷俊夫さん*礼拝当番:小笠原里子さん*聖  書:箴言 8:1-4,22-31(旧1000) , ローマ 5:1-5 (新279), ヨハネ 16:12-15(新200) * 讃 美 歌:132番…

6月1日「今日の礼拝堂」

主の昇天の主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」: 神様。弟子たちを祝福しながら、御子が天にあげられたみわざをほめたたえます。今この時代に生きる私たちが、信仰と希望と愛に生きることができるよう、助け、励まし、祝福してください。御子、主イエス・キリストによって祈ります。♪ アーメン ○主の昇天の主日 説教        「 主を見上げつつ 」                      使徒1:1‐11 エフェソ1:15-23 ルカ24:44-53 祝福しながら離れてゆく主イエスを見送った弟子たちは、全身全霊が満たされる思いだったのではないでしょうか。《彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内に居て、神をほめたたえていた》(24:52-53)とあるように、物理的には離れていても“主が共にいてくださる”という約束が真実であり、まさに彼らの喜びとなっていたのだと思います。使徒言行録でも同じような描写がありますね。そして、弟子たちに約束の聖霊が降ると、彼らが力を受け《エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる》(使徒1:8)と弟子たちが受け取った祝福が彼らの内に留まるだけではおさまらず、誰かに伝えたい、わかちあいたいという望みに発展し“地の果てまで福音を届ける”ようになると主は言われています。 使徒言行録を読むと、いろいろと困難はありますが弟子たちが生き生きと、確信と喜びをもって宣教活動へと出かけていく姿を見ることができます。命の危険や無理解ということがあっても、主イエス・キリストを通して世に示された神の御心を伝えたいという思いは、決して萎えることはありません。彼らは牢獄にとらえられようとも、仲間内でいさかいが起こっても、神の導きに信頼して福音を証していきました。時には主イエスと同じように癒しの業や奇跡を起こすこともありました。また、弟子たちの証を聞いて、数人から数千人の単位の多くの人々が回心に導かれ洗礼を受けたという記事もあります。 残念ながら私には、弟子たちに与えられていたような奇跡を起こす賜物はありません。しかしながら、私たちの生活のただ中にも、神の奇跡はあるのではないでしょうか?それは、ある人が御言葉や誰かの導きによって礼拝においでになり、洗礼をお受けになるという事。あるいは、幼い時に洗礼を受けていた方々が堅信に導かれるという事でもあります。自然の営みの移り変わりや、新しい命の誕生の喜び、子どもたちの成長、あるいは定められた時を走りぬいてこの世から旅立たれる方を見送るという時、そこには目には見えなくても確かに共におられる方の臨在を感じるのではないでしょうか?私たちの周囲には神の創造の業、恵みと祝福を示す恵みがたくさんあります。しかし、その世界を今私たち人間は暴力によって脅かしいびつなものとしてしまっていることも確かなことです。 先日のLWF事務局長のアンネ・ブルクハルト牧師の講演でも、現代に生きるキリスト者の今日的課題の一つは「差異に基づく合意-屈服することではなく、共通点を見いだすこと」とありました。多くの対立や暴力、不均衡の只中にある現代において、キリスト者であるということ、キリストの福音を知る者、キリストの福音に活かされる、弟子の一人として今生かされている者として、エキュメニカルな対話を続けていくこと、愛の実践に生きることの重要性をしみじみ噛みしめました。 主イエスは《罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に述べ伝えられる》(24:47)ように世界に向かって語るようにと弟子たちに命じられました。この宣教命令は現代の私たちにも同じように与えられています。弟子たちが福音を知る喜びに満たされて、出かけて行ったように、私たちもそれぞれの生活の場、生かされている場所で自分が受けた恵みの御業を伝えることができればと思います。主イエスの招きを受けて、教会の交わりに加えられた私たちは、今も両手を挙げて祝福してくださっている主イエス・キリストを仰ぎ見つつ、恵みと導きに感謝をささげ、常に主をほめたたえる者でありましょう。そして、主にある喜び、希望、赦し、慰めを世に伝え、実践する者でありましょう。(岡田)                 《 来週の礼拝 》                               #6月8日 午前10時30分 聖霊降臨主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「心を騒がせるな、おびえるな 」*奏  楽:若井裕子さん*聖書朗読:清水美年子さん*礼拝当番:小川敦子さん*聖  書:使徒言行録 2:1-21(新214), ローマ 8:14-17(新284),ヨハネ 14:8-17(25-27) (新196)* 讃 美 歌:149番、116番、教団122番

5月25日「今日の礼拝堂」

復活節第6主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」: 神様。主イエスの復活により救いの道が明らかにされました。永遠の命の約束を信じるために、聖霊によって、私たちを導いてください。復活の主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン ○復活節第6主日 説教        「 見えなくとも共にある 」                  使徒16:9-15 黙示録21:10,22-22:5 ヨハネ14:23-29 主は、《わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る》と言われています。これは復活を知る私たちにとっては、主が語られた言葉、そのひとつひとつを思い起こしそれを行ないなさいという勧めです。足を洗ってもらうことによって、主のぬくもりを与えられ、実感としてつながっていることが赦された弟子たちとは違い、現代に生きる私たちには人間として判りうる形、感覚として主イエスとの交わりを持つことができません。しかし、聖書に出会い、主の言葉と行いを通して、主を信じる人々の交わりの中にあることを通して、主の愛を知ることが許されています。なぜ、そうすることができるのか・・・。その答えが、今日、主イエスが約束されている聖霊の働きによるものだと思うのです。 聖霊は目には見えませんし、無味無臭。けれども、やはりいつでも私たちの周囲に満ちているものだと思います。そして、私たちの内側にも外側にも働きかけ、主の言葉を思い起こさせてくれながら福音を悟るようにと、導いてくれているはずです。また、私たちが抱く不安に満ちた思いや、心騒ぐときには「慰め主」として希望への道を示してくれる存在です。 そして聖霊が外向きに働きかけてくださるとき、私たちは信仰告白へと導かれるのです。「主イエスこそが私の救い主です」と証しする時、そこには聖霊が力強く働いて下さいます。このように、私たちの内にも外にも働いてくださる「助け主」である聖霊を与えてくださる、と主イエスは今日、約束してくださっています。 先日世界ルーテル連盟事務局長のアンネ・ブルクハルト牧師が東アジア担当のロスピタ・シアハン牧師と共に来日されました。この機会に、教派を越えて一つの集会を行おうということで、「エキュメニズム講演会―平和構築のための世界のキリスト教会の役割と使命―」が行われました。私も一つの役割を与えられ、木曜日は関連の会合と講演会に参加したのですが、同世代の女性が世界各地を飛び回りながら、力強く語ってくださる姿を間近に目にし大きな励ましを与えられました。特に印象的だったのは、「LWFには、小さくて資源が乏しい教会でも、他者に何も提供できない教会はありません。また、大きくて豊かでも、他者から何も学ぶことができない教会もありません。」という前LWF会長のことばを引用されたうえで、一致という時、それは同化するということを意味するのではなく・和解した多様性における一致、つまり違いを受け入れそこから学ぶということ。・違いがあることを認め、屈服するのではなく、共通点を見いだすこと。・対話とは相互交流であり、非難することではない、という三つの明確な視座を与えられたことです。 キリストの弟子たちもバラエティ豊かな人たちの集まりでした。主の復活と昇天の後、彼らの多くは福音宣教者として世に向けて証ししていくようになります。彼らをそうなさしめたのは、こここで、主イエスが語られた約束の聖霊です。目に見えなくても今ここにも働いています。私たち一人ひとりをこの場所へと導き、共に神を賛美する喜び、御言葉を聞く喜びを与えて下さっています。また、私たちの日常の中で、あらゆるところに働いて助け導いて下さっています。主がゆだねてくださったこの世界を私たちはどのように生きるべきか。どのように、生きたいと願うのか。主が約束された聖霊の助けを得て、この答えを地上にあるかぎり探し求めたいと願います。                                      《 来週の礼拝 》                               #6月1日 午前10時30分 主の昇天の主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「主を見上げつつ 」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:小笠原里子さん*礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん*聖  書:使徒言行録 1:1-11(新213), エフェソ 1:15-23(新352),ルカ 24:44-53(新161)* 讃 美 歌:278番、111番、教団122番