5月25日「今日の礼拝堂」

復活節第6主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」: 神様。主イエスの復活により救いの道が明らかにされました。永遠の命の約束を信じるために、聖霊によって、私たちを導いてください。復活の主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン ○復活節第6主日 説教        「 見えなくとも共にある 」                  使徒16:9-15 黙示録21:10,22-22:5 ヨハネ14:23-29 主は、《わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る》と言われています。これは復活を知る私たちにとっては、主が語られた言葉、そのひとつひとつを思い起こしそれを行ないなさいという勧めです。足を洗ってもらうことによって、主のぬくもりを与えられ、実感としてつながっていることが赦された弟子たちとは違い、現代に生きる私たちには人間として判りうる形、感覚として主イエスとの交わりを持つことができません。しかし、聖書に出会い、主の言葉と行いを通して、主を信じる人々の交わりの中にあることを通して、主の愛を知ることが許されています。なぜ、そうすることができるのか・・・。その答えが、今日、主イエスが約束されている聖霊の働きによるものだと思うのです。 聖霊は目には見えませんし、無味無臭。けれども、やはりいつでも私たちの周囲に満ちているものだと思います。そして、私たちの内側にも外側にも働きかけ、主の言葉を思い起こさせてくれながら福音を悟るようにと、導いてくれているはずです。また、私たちが抱く不安に満ちた思いや、心騒ぐときには「慰め主」として希望への道を示してくれる存在です。 そして聖霊が外向きに働きかけてくださるとき、私たちは信仰告白へと導かれるのです。「主イエスこそが私の救い主です」と証しする時、そこには聖霊が力強く働いて下さいます。このように、私たちの内にも外にも働いてくださる「助け主」である聖霊を与えてくださる、と主イエスは今日、約束してくださっています。 先日世界ルーテル連盟事務局長のアンネ・ブルクハルト牧師が東アジア担当のロスピタ・シアハン牧師と共に来日されました。この機会に、教派を越えて一つの集会を行おうということで、「エキュメニズム講演会―平和構築のための世界のキリスト教会の役割と使命―」が行われました。私も一つの役割を与えられ、木曜日は関連の会合と講演会に参加したのですが、同世代の女性が世界各地を飛び回りながら、力強く語ってくださる姿を間近に目にし大きな励ましを与えられました。特に印象的だったのは、「LWFには、小さくて資源が乏しい教会でも、他者に何も提供できない教会はありません。また、大きくて豊かでも、他者から何も学ぶことができない教会もありません。」という前LWF会長のことばを引用されたうえで、一致という時、それは同化するということを意味するのではなく・和解した多様性における一致、つまり違いを受け入れそこから学ぶということ。・違いがあることを認め、屈服するのではなく、共通点を見いだすこと。・対話とは相互交流であり、非難することではない、という三つの明確な視座を与えられたことです。 キリストの弟子たちもバラエティ豊かな人たちの集まりでした。主の復活と昇天の後、彼らの多くは福音宣教者として世に向けて証ししていくようになります。彼らをそうなさしめたのは、こここで、主イエスが語られた約束の聖霊です。目に見えなくても今ここにも働いています。私たち一人ひとりをこの場所へと導き、共に神を賛美する喜び、御言葉を聞く喜びを与えて下さっています。また、私たちの日常の中で、あらゆるところに働いて助け導いて下さっています。主がゆだねてくださったこの世界を私たちはどのように生きるべきか。どのように、生きたいと願うのか。主が約束された聖霊の助けを得て、この答えを地上にあるかぎり探し求めたいと願います。                                      《 来週の礼拝 》                               #6月1日 午前10時30分 主の昇天の主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「主を見上げつつ 」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:小笠原里子さん*礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん*聖  書:使徒言行録 1:1-11(新213), エフェソ 1:15-23(新352),ルカ 24:44-53(新161)* 讃 美 歌:278番、111番、教団122番

5月18日「今日の礼拝堂」

復活節第5主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」 神様。あなたの愛こそ、世を照らすまことの光です。御子イエス・キリストが示した愛に倣い、私たちも互いに愛し合うことができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。    ♪ アーメン 《 来週の礼拝 》 #5月25午前10時30分 復活節第6主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「見えなくても共にある」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:楢戸恵子さん*礼拝当番:小川敦子さん*聖  書: 使徒言行録 16:9-15(新245), 黙示録 21:10-22:5 (新478),ヨハネ 14:23-29(新197)                                                                                                        * 讃 美 歌:168番 、322番、 増補45番 

5月11日「今日の礼拝堂」

復活節第4主日 礼拝 母の日 大人と子どもがともに守るファミリー礼拝 今週の「つどいの祈り」:   神様。あなたの愛と、永遠の命の約束によって、私たちはまことの平安、喜びを与えられます。私たちがますますあなたを信じることができるよう、聖霊によって導いてください。まことの羊飼い、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン ○復活節第4主日 説教   「羊飼いイエス」              使徒9:36-43 黙示録7:9-17 ヨハネ10:22-30 これまでも主は、たとえ話を用いながら、繰り返しご自分が何のためにこの世にくだり、父なる神の名によって、救いの業を成し遂げようとされているかを教えてこられました。耳を傾けない者にも、理解を示そうとしない者にも忍耐強く、諦めずに語り続けられるのです。それはまるで羊飼いが自分の羊たちをこよなく愛し、惜しみなく世話をしてくれるのと同じです。それほどまでの愛を尽くして主がご自分の羊たちに伝えたいことは《わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠のいのちを与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことは出来ない。わたしの父がくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことは出来ない。わたしと父とは一つである》ということです。 社会的な不安や物質的には豊かでも心が満たされない。どこかでバランスが崩れているとは感じていても、そのバランスをどのようにして整えればよいのかが分からないなど、社会全体に不安が漂っている雰囲気というのは、いつの時代でも同じでしょう。現代は価値観が多様化しているようであっても、為政者や重要な立場にある人の偏った考え方で物事が決められてしまうこともあります。また偽情報(フェイク)も氾濫し、どれが正しく、正しくないのかという判断、あふれる情報の中から受け止めるべきものがどれであるのか、と選別することも必要です。そのような中で、同調圧力も迫ってくると、ゆっくりと思い巡らすことやしっかりと考えることが難しくなり、脊髄反射的な応答の応酬になってしまうこともあるかもしれません。長引く不況だけでなく、感染症の世界的なパンデミック、軍事クーデターや軍事侵攻、大量殺戮が起きていて、本当につらい毎日です。このGW中にもインドとパキスタンの衝突のニュースが入り新たな暴力の応酬が繰り広げられているようで暗澹たる気持ちです。どうやって今日の説教をまとめることができるだろうかと悩んでいた時に、友人から一つの動画が紹介されました。それは、インド人記者がムスリムのインド人少年にインタビューしているものでした。明らかに記者はインド人であれば、パキスタン人をやっつけろと言う意見を述べるべきだと考えているようで、繰り返し意地悪な質問を少年に投げかけます。しかし、少年は「インドにもパキスタンにもヒンズーとムスリムがいる。みな人間だ。なぜ、皆殺しにする必要があるのか。あなたはあの国を滅ぼせという。だけど、どこにも人が住んでいるんだ」と答えます。思い通りの答えを引き出せない記者は苛立ちながら、誰がそんな考えをあなたに教えたのかと最後の質問をすると「自分の頭で考えたんだよ。決まってるだろ」と少年が答えるところで動画は終わりでした。ほんのわずかな間のやり取りですが、この動画の内容が現代の光と闇を見せてくれているなぁと思いました。少年にインタビューした記者のように、ある意図を強化するために意見を拾い集め世論を動かそうとする人がいます。その一方で、この少年のように、自分の感じていること、考えていることを率直に素直に語る人もいます。「どこにでも、人が住んでいる。なぜ、皆殺しにする必要があるのか?」私たち大人と言われる者たちは、この少年の問いかけに真剣に向き合い、答えを探さねばならないのではないでしょうか。 良い羊飼いである主イエス・キリストは《わたしの羊はわたしの声を聞き分ける》と言われます。私たちはよき羊飼いである主イエスの声にしっかりと耳を澄ませ、この方の愛に支えられ、この方の後に喜びをもって従う者でありましょう。 (岡田)          《 来週の礼拝 》                               #5月18日 午前10時30分 復活節第5主日 礼拝 *司  式:小泉 基牧師*説  教:小泉 基牧師「一寸先の先 」*奏  楽:若井裕子さん*聖書朗読:小笠原里子さん*礼拝当番:秋田直枝さん*聖  書:使徒言行録 11:1-18(新234), 黙示録 21:1-6d (新477),ヨハネ 13:31-35(新195)   * 讃 美 歌:95番 、439番、 増補45番

5月4日「今日の礼拝堂」

復活後第3主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」:   神様。悲しみの夜を過ごしても、あなたは私たちに喜びの歌と共に新しい朝を迎えさせてくださいます。みことばによって、新しいいのちを待ち望む信仰を、私たちにお与えください。復活の主イエス・キリストの御名によって祈ります。 ♪ アーメン ○復活後第3主日 説教        「 恵みの食卓 」                  使徒9:1-20 黙示録5:11-14 ヨハネ21:1-19 岸辺には炭火が熾してあり、パンも魚もありました。主イエスは弟子たちに獲れたばかりの魚も持ってこさせます。弟子たちは誰一人として《あなたはどなたですか》(21:12)と問うことなく、主が用意してくださった朝食を食べます。パンや魚がわかちあわれる度に、弟子たちの一人ひとりの心と体にこの食卓のぬくもり、主の愛、慈しみが染み渡って行ったのではないでしょうか。 食事が終わると主は《ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか》(21:15)と問いかけられました。三度にわたるこの問答はペトロを苦しめるためのものではありません。主イエスの《ヨハネの子シモン》との呼びかけには特別な響きがあります。主がペトロをこのように呼ばれるのは、最初の出会いのときとこの時の二か所だけです。ヨハネの記述によると、ペトロは洗礼者ヨハネの弟子の一人であった兄弟アンデレから《わたしたちはメシアにあった》(1:41)という言葉と共に彼に連れられて主イエスと出会ったとされています。その時、主は《あなたはヨハネの子シモンであるがケファ-「岩」-と呼ぶことにする》(1:42)と言われました。以来、彼は主イエスの宣教の場、癒しの場、そして祈りの場で様々な経験を重ねてきました。希望もあれば挫折もあった。ただあの夜のことについてペトロは自分をゆるせないばかりか、大きな痛みとして引きずっていたのだと思います。しかし、朝食が終わり、主イエスがおもむろに《ヨハネの子シモン》と声をかけて来られました。ペトロは緊張し、背筋を伸ばして主の言葉に耳を傾けたのではないでしょうか。 三度目のやり取りで主は《わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく、あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。》(21:18)と少し謎めいた言葉をペトロに言われています。福音書記者ヨハネは《ペトロが、どのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。》(21:18)と述べています。ペトロが殉教の死を遂げることを主は暗示されていたのです。 《よい羊飼い》という表現は、復活節のモチーフとして伝統的に用いられています。そして、ここでは「良い羊飼い」である主イエスから弟子の中でも「岩」と名付けられたシモン・ペトロに《わたしの羊を飼いなさい》という命令が下され、羊の世話をする務めが委ねられようとしています。「小羊」と「羊」、「飼う」と「世話をする」は、微妙に違っているように見えますが、羊であれ、小羊であれ、主が大切にされるひとつひとつの命を大切にしなさいという命令です。そしてここで主が言われている「愛する」ということは単に抽象的なことではなく、主が私たちを愛されたように、愛すること。つまり、具体的に実践するということが強調されています。主はここでペトロに「わたしを愛すると言うあなたはこれから愛に生きる者となる。愛に生きるということは、わたしがあなたがたに仕えたように、あなたも人々に仕えることである」、と教えておられるのです。ペトロは復活の主との出会いの中で変えられ、「何もかもご存じのお方がいて下さる」その愛と信仰の中で福音の使者として立てられます。                      《 来週の礼拝 》                               #5月11日 午前10時30分 復活後第4主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「羊飼いイエス 」*奏  楽:井上志乃さん*聖書朗読:清水美年子さん*礼拝当番:小笠原里子さん*聖  書:使徒言行録 9:36-43(新231), ローマ 12:17-21(新292),ヨハネ 10:27-28(新187)* 讃 美 歌:91番 (1,2,6) 、342番、 増補45番

4月27日「今日の礼拝堂」

復活後第2主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」 全能・永遠の神様。あなたは、信じる者を強め、疑う者に希望を与えてくださいました。見なくてもあなたを信じ、御子の祝福の豊かさをいただくことができますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン 《 来週の礼拝 》 #5月4午前10時30分 復活後第3主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「恵みの食卓」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:楢戸恵子さん*礼拝当番:清水美年子さん、小笠原里子さん*聖  書:使徒言行録 9:1-6 (新229)、黙示録 5:11-14 (新458)、ヨハネ 21:1-19 (新211)* 讃 美 歌:90番、410番、増補45番

4月20日「今日の礼拝堂」

主の復活主日 イースター 礼拝 今週の「つどいの祈り」: 神様。御子の復活によって、あなたは死と墓を打ち破り、永遠のいのちを確かなものとしてくださいました。世にあって日々を生きる私たちが、天における永遠のいのちを信じて歩むことができるよう、お導きください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、復活の主イエス・キリストの御名によって祈ります。 ♪ アーメン ○主の復活主日(イースター) 説教                    イザヤ65:17-25 使徒10:34-43 ルカ24:1-12         「その朝の出来事」 夜明けとともに、安息日が明けたと見るや女性たちは墓へ急ぎます。しかしそこには《見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見あたらなかった。》(24:2)とあるように、想定外のことが起きていました。ただ途方に暮れるしかありません。すると彼女たちの側に輝く衣を着た二人の人が現れ《なぜ生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここらにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっていると言われたではないか。》(24:5-7)と告げたのでした。女性たちは驚きつつも、かねてより主が語られていた言葉を思い出します。そして、墓から帰って、11人と他の人皆に一部始終を知らせました。 遺体を丁寧に葬りたいと精一杯の思いで墓を訪ねた女性たちは、自分たちの思いを遂げることはできませんでした。しかしながら、彼女たちは驚くべき喜ばしい知らせを聞いたのです。そして、その知らせによって主の言葉を思い起こし、信じました。復活の主イエスのお姿をまだ見ていなかったにもかかわらず、彼女たちは主の約束を思い起こして信じたのです。ここに御言葉の力があります。しかし、この知らせを聞いた弟子たちは“たわ言”のように思いまだ信じることができません。おそらく彼らは自分にこだわっていたのでしょう。だからこそ、ペトロは事の真偽を確かめるために墓に走るのです。そして、自分の目でも空虚な墓、残された亜麻布を確かめ驚きながら家に帰りました。 不思議なことに世界で初めてのイースターの朝の物語に主イエスご自身が登場しません。そこには、嘆きと悲しみにくれた女性たちの姿、半信半疑な弟子たちの姿があり、誰一人として主イエスの言葉を理解していなかった事実だけが浮き彫りにされています。そして、彼らが目にしたものは、空虚なお墓です。主の復活を知らされた女性たち、また彼女たちを通して喜ばしい知らせを聞いたのに信じることができない弟子たちの状況は、今の私たちに似ています。復活の主イエスのお姿を見ていないという点で同じであり、ただ主の御言葉を信じることで主の復活を確信しているという点でも一致します。 今日の福音の中心にあるのは、空っぽの墓なのです。私たちはこの空虚な墓に目を注ぐようにと促されます。墓の入り口を塞いでいた石の蓋が転がされていたのは、主イエスが墓から出るためではなく、女性たちが、ペトロが、弟子たちが、復活の朝、空虚な墓を見るためだったのです。そして「あの方は、ここにはおられない。」というメッセージを受け取ることによって、かつて主イエス・キリストご自身が語っておられた言葉を思い出すためです。これは、当時の弟子たちだけに留まらず、私たちにも同じように迫ってきます。私たちは教会の暦に従いながら、主の教えを聴き、主の業を見ます。そして主の御言葉を通して福音を与えられます。主の教え、主の行い、そして主の十字架と復活が私たちにどのような意味をもたらすのかを、聴いてゆくのです。そして、復活の主イエスが私たち一人ひとりと出会ってくださることによって、私たちは“主イエスは死を打ち砕き、復活し、永遠の命の約束へと私たちを導いてくださっている!”という喜びを、私のための贈り物として受け取るのです。(岡田)             《来週の礼拝》                               #4月27日 午前10時30分 復活後第2主日 礼拝 *司  式:小泉 基牧師*説  教:小泉 基牧師「不公平はいつもある」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:小笠原里子さん*礼拝当番:清水美年子さん、小笠原里子さん*聖  書:使徒言行録 5:27-32(新222)、 黙示録 1:4-8(新452)、ヨハネ 20:19-31(新210)* 讃 美 歌:97番、108番、教団496番                                  

4月13日「今日の礼拝堂」

枝の主日・受難主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」:   神様。あなたは受け入れない民の中に、御子は来られました。へりくだって十字架の死に至るまで従順だった御子によって、私たちは贖われます。あらゆる人知を超えたあなたの愛とみわざをおぼえつつ、御子の受難を覚え、復活の祝いに備えるこの一週間を歩むことができるように私たちを助けてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。  ♪ アーメン ○枝の主日・受難主日 説教        「 歓  声 」 イザヤ50:4-9a フィリピ2:5-11 ルカ19:28-40 教会の庭にもチューリップ、クロッカスなどが太陽の光を浴びてぐんぐん成長しています。狭いところにひしめき合い、やや窮屈に見えますが競い合うように成長していく様子を見ながらいのちって本当にすごいなぁとしみじみ感じています。翻って人間の世界を見てみると、長引く不況に加えて、世界各地での紛争や戦争、暴力の連鎖が止まりません。とりわけ自国優先、経済的に優位に立つことを追い求め、他人の痛みや苦しみに思いをはせることができなくなっている人たちの姿を見るととても切なくなります。 福音の日課では《イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って行かれた》(19:28)とあるように、主イエスは弟子たちの先頭に立って十字架に至る道をまっすぐに進まれています。進みゆく先にあるのは楽しみでも喜びでもなく苦難であるにもかかわらず、主は「先に立って」進まれるのです。「先頭に立ち」ということはつまり、後続する者たちがいることを前提としています。つまり、主は“わたしの後について来なさい”と弟子たちや群衆をご自身のもとへと招いてくださっているのです。言い換えれば、先立つ主イエスへの信頼と服従が求められているのです。 とはいえ私たちは弱さも脆さも愚かさも持つ不確かな存在です。弟子たちもそうでした。口では威勢のいいことを言っていても、いざという時には頓珍漢な応答をしたり、逃げ出したり、主イエスを否定してしまうことになってひどく後悔するする者たちがいることを、私たちは知っています。弟子たちですらそうなのですから、今日ただいまを生きている私たちも、弟子たちが遭遇したような命の危機、思いもよらない悲劇に見舞われたとき、平時に考えているほどに自分が行動できるかどうか・・・私には全く自信がありません。 ミャンマーの大地震後にアトゥトゥミャンマーのサイトには、現地から寄せられてくる報告を毎日更新しながら掲載くださっています。見るのも聞くのもつらく感じる写真もありますが、同時に命つながれた人たちが、そこで互いに思いを寄せ合い、祈りを合わせ、自分の成せること、出来ることに真摯に取組まれておられる姿もあります。アトゥトゥにミャンマーは小さな団体ですが、クーデータ後に毎週祈りを重ねてきたこと、顔と顔とを合わせつつ、見える形での支援を継続してきましたので、一つひとつの写真やコメントから現地の方々の体温や息遣いが感じられるように思います。そして、物理的には離れていても、いかなる困難の中にあっても、先に立って進まれる主イエスの姿をしっかりと見つめ、この方に希望を見いだし生かされている人たちがいて、私もそこに連なる者とされているということをひしひしと感じます。 主がエルサレムに迎え入れられた時の弟子たちや人々の歓声は、救いと解放を求める声であり、これはまさに「平和の王」である主イエスの勝利を先取りした賛美の叫びです。十字架という苦難の先にある、復活という希望。主が死に勝利されたことにより、私たちは絶望の先になお希望を見ることができるようになりました。とはいえ、地上には辛く悲しい現実が沢山あります。くじけそうになる時も、闇の力に覆われてしまいそうになる時も、恐れに飲み込まれてしまうような時も、神を信じられなくなるような不確かな時もあるでしょう。だからこそ、今私たちは先立つ主イエスに希望をもって従うように促されているのです。 《 来週の礼拝 》                               #4月20日 午前10時30分 復活祭・イースター礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「その朝の出来事 」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:藏谷俊夫さん*礼拝当番:小川敦子さん、小笠原里子さん*聖  書:使徒言行録 10:34-43(新223), コリント手紙一 15:19-26(新321),ルカ 4:1-12* 讃 美 歌:89番、95番、教団498番

4月6日「今日の礼拝堂」

四旬節第5主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」:   神様。あの日、マリアがささげたナルドの香油、その良い香りが、家の中を満たしました。今、あなたの愛、救いの知らせが、すべての人の心を満たしますように。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。  ♪ アーメン ○四旬節第5主日 説教        「 備えの香り 」                    イザヤ43:16-21 フィリピ3:4b-14 ヨハネ12:1-8 マリアが主イエスの死を予感して、そのために香油を取り分けていたのかどうかはわかりません。けれども主ご自身はこの日のマリアの振る舞いをご自身の死への備え、死体の塗油の先取りとして受け取られています。他の福音書では、この行為によって彼女の名が後世に語り継がれるという流れになるのですが、ヨハネにはありません。むしろ、ここで強調されていることは《貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない》(12:8)という主イエスの言葉です。今日の物語において重要なのは、ここで主ご自身がもうすぐ地上での生涯を終えることを念頭に一貫して死を覚悟して歩みを進めておられたという点です。 先月末、ミャンマーで大きな地震災害が起こりました。震源地に近い地域はクーデター軍に抵抗している挙国一致政府(NUG)がやや優勢の地域です。4年以上にわたる混乱の中で国の統制は乱れているもののNUGは直ちに停戦を発表しましたが、クーデター軍はあろうことか数日間空爆を続け、4月2日になってようやく一時停戦を発表し、地震対策を優先すると発表しました。にもかかわらず国際的な機関が被災者のために現地入りしようとしても自分たちにとって不利な情報発信や動きをすることを恐れてかなり制限をしているそうです。支援機関だけでなく、報道機関や人々の通信手段へも制限しているようで、現地での活動は困難の中にあるようです。悪いことをしているとを自覚しているからこそ、それが明るみになることを恐れて空爆を続けたり、自分たちに批判的な国際機関や報道機関の活動を妨害しようとするクーデター軍の有様は人間の愚かさ、恐ろしさをまざまざと私たちに見せつけています。 その只中にあっても、地震発生から最初の主日にも各地で礼拝が行われていました。多くの人が大切な人、もの、場所を失った中にあっても、主の御名のもとに集まり祈り、讃美し、福音をわかちあったのです。そしてそこで語られたメッセージの一つでは《わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。》(コリントの信徒への手紙二4章8-9節/聖書 新共同訳)との御言葉が語られたと聞きました。まさに四方から苦しめられているような状況の中にあっても、現地のキリスト者たちはなお希望に目を向けて、草の根で互いを支え合い励まし合い、生き抜いているのです。遠い東の果てに住む私もこの御言葉に励まされました。 主はマリアによってご自身の足が香油できよめられた時、間近に迫った死を確かに見据えておられました。主の十字架の道行きは既に始まり、ここでの出来事もその備えのときだったのです。主はここでご自身の道の先にあるものを見据え、居合わせている人たち、そしてこの物語に触れているすべてのいのちのために十字架へと進み、ご自身の進むべき道を全うされました。香油の香りは家中に広がっています。キリストによってあがなわれ、キリストによって生きる者とされた私たちは、キリストの香りを運ぶ者でもあります。間違いも、破れもある私たちですが主イエスが私たちを愛してくださったからこそ、私たちも愛することができる。主の愛によって支えられているからこそ、私たちも互いに支え合うことができます。微力であっても、力を合わせ、互いに祈り合い、僅かであっても持ち寄りながら心を寄せていく活動に私たちも連なり、それぞれの場においてキリストの香りを届ける者でありましょう。(岡田)         《 来週の礼拝 》                               #4月13日 午前10時30分 枝の主日 礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「歓声 」*奏  楽:若井裕子さん*聖書朗読:楢戸恵子さん*礼拝当番:小笠原里子さん*聖  書:イザヤ 50:4-9a(旧1145), フィリピの手紙二 2:5-11(新363),ルカ 19:28-40(新147)* 讃 美 歌:71番、306番(1-4)、教団二篇177番

3月30日「今日の礼拝堂」

四旬節第4主日 礼拝 *配信礼拝(オンライン)で礼拝が行われました。 今週の「つどいの祈り」   神様。あなたは、私たち一人一人を愛しておられます。あなたの愛を深く悟り、立ち帰ることができるよう、私たちを導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン 《 来週の礼拝 》 #4月6日午前10時30分 四旬節第5主日礼拝 *司  式:岡田 薫牧師*説  教:岡田 薫牧師「備えの香り」*奏  楽:滝田裕美さん*聖書朗読:蔵谷俊夫さん*礼拝当番:秋田直枝さん、小笠原里子さん*聖  書:イザヤ 43:16-21 (旧1131)、フィリピ 3:4b-14 (新364)、ヨハネ 12:1-8 (新191)* 讃 美 歌:66番、487番、教団二篇177番

3月23日「今日の礼拝堂」

四旬節第3主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」:  神様。御子の十字架の苦しみは、人知では到底はかり知ることができない御心と愛を表しています。畏れつつ、あなたを信じ、隣人を愛することができるよう、私たちを助け導いてください。あなたと聖霊とともにただ独りの神、永遠の支配者、御子、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン ○四旬節第3主日 説教                  イザヤ55:1-9 コリント一10:1-13 ルカ13:1-9     「 明日を信じて 」 ガリラヤの人たちが被った被害について知らせをもたらした人がどういう立場にあったのかはよくわかりませんが、知らせをお聞きになった主イエスの返答は《あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる》(13:3)というものでした。ちょっと冷たく見える応答ですが、これは人々の恐怖心をあおり、むやみやたらと苦しめようとしておられるのではないと思います。主の思いを読み解くには、続くいちじくの木のたとえとあわせて聞いていく必要があるでしょう。 たとえ話のいちじくの木は3年経っても実をつけないことから危うく切り倒されそうになります。しかし、園丁のとりなしによって切り倒されることなく、よりいっそうの世話を受け翌年へと希望をつなぐことが出来ました。これは、主イエスご自身が私たちの罪を贖ういけにえとして十字架についてくださること、十字架と復活によって私たちが自らの罪に気付かされ、神へと向きなおることが出来るようになることを示しています。そして、神の審判が近づいてきていることは確かであっても、まだその時が訪れていないのは、主イエスの出来事を通して、より多くの人々が自らの罪に気付かされて、心から悔い改め、神へと向き直ることが待たれていることを示します。 この話は神が人間の罪に対しては厳しく対処され裁かれると同時に人間が罪に気付いて悔い改めへと導かれることを切に願い待っておられることを教えています。そして、主がこの世界においでになった理由こそが、罪人たちのメタノイア=悔い改め=方向転換のためであることをはっきりと示されるのです。悔い改めとは、見当違いの方向を見るのではなく、あなたのいのちをうみだし、育み、良い物として保ってくださっている神へとしっかりと向きなりなさいと言うことです。 ガリラヤの人たちの災難を知らせた人たちはどこかで自分とその人たちは違うのだと切り分けて考えていたことでしょう。しかし主は、あなたも滅びる存在であることには変わりないとはっきりと告げられます。そのうえで、あなたが滅びることを私は望まない。伴うために来たのだよ、悔い改めに招いてくださるのです。 世に満ちる様々な課題の一つひとつを数え上げ、祈る事が出来ればいいのですが、限られた時間を生きる私たちはすべてを網羅することは到底出来ません。だからこそ、私はせめて毎週祈りに導かれるミャンマーのことやこの国に住みながら居ない者のような扱いを受けている小さくされた人たちのことを覚え、可能な限り伴わせていただきたいと願っています。共に今日という日を生かされたことを喜び会い、明日に希望をつなぎながら、生かされる限り主イエスを通して私たちに注がれている神の愛をしっかりと味わいたい。主の愛に触れることにより、私たちは神のもとへと向き直ることが出来るのです。そして、神の子として生きる道へと導かれます。遅すぎると言うことはありません。この祝福に与った喜びを持って、それぞれの現実の中で主の思いに聞きながら、目の前に開かれた道を進んでゆきましょう。(岡田) 《 来週の礼拝 》                                #3月30日 午前10時30分 四旬節第4主日 礼拝 (配信礼拝で行われます)  *司  式:小泉  基 牧師                                                                                              *説  教:小泉  基 牧師「正しさの哀しみ」                                                              *礼拝当番:小笠原里子さん                                                                              *聖  書:ヨシュア 5:9-12、コリントへの手紙二 5:16-21、ルカ 15:1-3,11b-32                                                                        *讃 美 歌: 165番、73番、増補版32番