10月27日「今日の礼拝堂」
宗教改革記念主日 礼拝 今週の「つどいの祈り」: 神様。あなたの真理は世の闇を照らします。あなただけがまことの光、あなただけが私たちの助けです。あなたの恵みを信じる信仰を、私たちにお与えください。救い主、主イエス・キリストによって祈ります。 ♪ アーメン ★江別三番館福音キリスト教会から転入された、清水郁美さんのための祈りが行われました。 ○宗教改革記念主日 説教 宗教改革は当時の教会や修道会が堕落していたから起きたのだ、という言説が流布されていますが、これは正解ではありません。そのような一面もあったかもしれませんが、修道士となったマルチンが当時の教会や修道院のいちばん優れた場所に身を置くことでき、御言葉に親しみ、祈りの生活に沈潜するなかで、なおそこに潜む人間の傲慢、罪、というものを無視できなくなった。そして、教会を教会足らしめるものから遠ざかっているということに気づかされたからこそ、教会システムの改革へと時代の要請と共に導かれていったのだと思います。マルチン・ルターからさかのぼる事100年ほど前にいたボヘミアのヤン・フスもすでに当時から売られていた贖宥状の販売や堕落した聖職者について異を唱えており、宗教改革の先駆者と言われています。しかしフスの生きた時代は少し早すぎたようで、彼は異端審問で有罪とされ火あぶりに処せられてしまいました。つまり、マルチン・ルターが1517年の10月31日に「95箇条の提題」を発するに至るまでには、少なくとも二世代ほどの人間の営みがあり、その間に起こった社会的な要因や人々の価値観の形成などが相まって、機が熟した頃にルターという最も適した人物が歴史の表舞台に現れたということだと思います。今日の福音の日課は、主イエスがご自分を信じたユダヤ人たちに対して《わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする》(ヨハネ8:31-32)と言われています。ところがこれを聞いたユダヤ人たちには、その真意が伝わっていません。この人たちは口先では主に従うと言いつつも、自分たちが受け継いできた血統、伝統にとらわれていて、アブラハムの子孫である自分たちはだれかの奴隷にもなったことがないのに、なぜ自由になると言わるのか?と理解に苦しむのです。彼らは自分たちの立ち位置をアブラハムの子孫=神に選ばれた者、自由を持つ者、解放された者という認識でいます。つまり「自分たちは神に選ばれ、自由な者だから今更自由を与えられる必要などない。罪とは無縁の存在です」と言っているようなものです。主イエスが語られる真理を聞くそぶりはあっても、真意を聞き取ろうとすることも、信じることもない、張りぼての信仰であることがここで露わになるのです。そのような彼らに主は《罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる》(34-36)と言って、ご自身を通して神が明らかにされること、示されることに目を注ぎ、耳を傾け、真に信じる者となるように促されるのです。本当の自由とは、血統にも伝統にも縛られず、一人の人間として神の前に立つこと、神の言葉にきくことから始まるのだということを教えられているのです。《わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である》(8:31)この言葉は現代に生きる/生かされている私たちにも語り掛けられています。心が揺さぶられることの多い時代ですが、私たちは主の言葉に留まり続ける者、そして導きに信頼してあゆんでいく者でありましょう。《岡田》 《来週の礼拝》 #11月3日 午前10時30分 全聖徒主日召天者記念 礼拝 *司 式:岡田 薫牧師*説 教:岡田 薫牧師「涙をぬぐってくださる方」*奏 楽:滝田裕美さん*聖書朗読:蔵谷俊夫さん*礼拝当番:楢戸恵子さん、小笠原里子さん*聖 書:イザヤ 25:6-9、黙示録 21:1-6(a-c)(新477)、ヨハネ 11:32-44* 讃 美 歌:371番、3142番(1,2,4)、清い心で
